2008年10月12日

ひろいもの



風。



腹に響く落ち着いたマシンの鼓動音と共にいきなり彼は現れた。

ヘルメットにサングラスの出で立ちだったが、いつもの調子で彼はにっこりと笑った。

「はい、田中君これ」

そう、私はいつものカフェで楽しい時間を過ごした後、マスターに車で送ってもらった際、携帯電話を車中に忘れてしまったのだ。

それに気付いた彼は深夜にも係わらず、こうして携帯電話を急いでバイクで持ってきてくれた。

「じゃ、おやすみ」

それだけ、言い残すと彼はまた腹に響く鼓動音と共に颯爽と走り去ってしまった。

今度は優しい風が私の頬を軽く撫ぜた。

会話もしたはずなのに、なぜか一瞬の出来事だったかのように、彼の走り去る姿だけが私の眼の奥にクッキリと焼き付いた。



男。



言い様の無い気持ちの震えが私を襲った。

忘れていた何かが、とてつもない大きな波のように私に迫ってきていた。

あの頃、持っていたかも知れない何かが私の中で少し眼を覚ました。



俺も・・・



忘れ物をして、思わぬところで大きなひろいものをしてしまった。

今からでも遅くはない。

俺も単車に乗りたい。

人それぞれにあるあの頃の懐かしい光景が、大人の私を優しく包み込んだ。

年齢やスタイルや雰囲気は変わっても、また純粋にワクワク出来るかも知れないという期待が、私を突き動かす事は間違い無い。



マスター、ありがとう。







  


Posted by T (agent045) at 22:30Comments(37)序章